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2007年8月

フォーラム2日目を終えて~林~

Ku6e8914 始まりがあれば、終わりがある。当然のことだ。終わって初めて気づくことがある。そしてそれを嘆く人がいる。なぜもっと早く気づかなかったのかと。それは人間の驕りだろう。私たちは神ではない。物事の中にいる最中に全体を見ることなどできないのである。終わって気づくだけでも十分だ。たいていは何も気づかずに終わるのだから。

今日、北京で行われた第三回北京—東京フォーラムは終わった。終わってみて何が見えたのだろうか。そして何が見えていないのだろうか。

 フォーラム二日目の始まりは、静か、だった。一日目のような派手さは陰を潜め、フォーラム二日目の挨拶は静寂に迎え入れられた。しかし、沈鬱ではない。皆一様に前日よりも柔和な面持ちで、話者の言葉を噛みしめているようである。

その後は日中四人の講演が続く。雰囲気は変わらない。講演者の言葉はあたかも同士を讃え、いたわり、いつくしむ言葉にもきこえる。そして、前日、と同じ。繰り返し、繰り返し、繰り返し。講演者の言うことは同じである。

しかし私の昨日の雑感を読めば分かるが、これは批判的な意味で言っているのではない。むしろ好意的である。

つまるところ、人の心を動かし、何かを変える力を持つ人は、同じことを恐れずに、相手に伝わるまで何度でも言える人なのである。目新しいことを言うことは、本人に満足感を与え、聴衆もそれを好む場合が多い。

しかし、そのような人は往々にして、強い信念を持ち合わせず、その場の自己満足に浸る偽善者である。私たちは本質を見極め、同じことを繰り返し言う人の勇気を讃えようではないか。それによってこそ政治は良い方向に向かうはずなのだから。

 ここでコーヒーブレイクをはさむ。もちろんホールでの議論は活発である。前日よりも政治家や有識者と一般人に近い人々との交流が多く見られる。オープンな議論の場としてのフォーラムの意義はある程度達成されているといえるだろう。

 全体会議の後半は、前日に行われた分科会の報告が行われた。もうお分かりだろう。繰り返し、繰り返し、繰り返し、である。その言葉は日中双方の心にしみ込む。

また、この繰り返しは、日中の差異を改めて明らかにする。結局日本と中国に限らず、違う物は違う、のである。しばしば、差異は対立を生む。

しかし、ここでは違う。差異があるからこそ、お互いに自らの意見を繰り返し述べ、相互理解を深めようとしているのである。差異は一生埋まらないかもしれない。日中が本当の意味で友好関係を築くことなど不可能なのかもしれない。しかし、多くの良識ある人々が同じことを繰り返し、繰り返し、繰り返し、述べているうちは、未来は明るい、はずである。

 分科会の報告後、言論NPO代表工藤氏によって共同声明が発表された。そして記者会見。もう一度言おう。語られたことは、同じ、である。

 そしてフォーラムは幕を閉じる。

 会場では片付けが進み、フォーラムの余韻は半強制的に消し去られる。寂しさを覚え、ふとホールに出る。そこには、立ちながら、昼食をとりながら、多くの人が何やら話し込んでいる。あぁ、まだこのフォーラムは終わっていなかったのか。その時、工藤代表の言葉がよみがえる。このフォーラムを契機に、今後も継続的な議論が必要なのであると。繰り返し、繰り返し、繰り返し。

 冒頭で私は言った。始まりがあれば、終わりがある。これは誰もが認める事実だろう。でもあえて言わせてもらおう。このフォーラムには、始まりがあり、終わりはない、のかもしれない。少なくともこの神の領域にも近いような言説を信じさせる、魅力、がこのフォーラムには、ある。

(文責:林)

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フォーラム2日目を終えて~黄~

Ku6e1973 さて、二日目です。今日は昨日よりだいぶ落ち着いてます。朝、スタッフ方と打ち合わせを終えて、まず昨日と同じクンルンホテルのホールで全体会の基調講演にのぞみました。

 でもその前にかなり時間があったので、みんなホール内を彷徨ったり、記念撮影をしたりして、リラックスムードでした。

いざ講演が始まると緊張感が戻ってきて、速記に集中しました。昨日は作業にとらわれすぎて、来賓の発言などにほとんど耳を傾けられなかったので、今日はそれを反省して、速記をしていないときはメモを取りながら話を聞きました。

今からそのメモを参考にして、特に印象に残った何人かの来賓の発言を紹介したいと思います。

 まずは、この二日間を通してとても好きになった松本健一氏から。私は松本氏ののんびりしたところが好きです。一度の発言の中で二度も司会者に「手短にお願いします。」といわれてもしゃべり続けるくらい!またそこにパッションを感じます。

今日の松本氏は環境についてたくさん語りました。北京大学のトイレで水が出ない話から始まり、ご自分が目にしてきた日本と中国の、それぞれの経済発展に伴う風景の変化について話してくれました。自身の体験談を交えた具体的なものから話を広げていく感じで、むずかしい用語を並べるような講演より理解しやすかったです。

 次は一番最初に登場した陳呉蘇氏。彼は、「どんどん強大になる中国と付き合う準備を日本はできていない」とか、「中国は自身が成長していく上で他の国に損害を与えませんので仲良くましょう」といった事を、中国には力があるということを示しながら話しました。

しかし、そういうことをいうと相手の国は中国を警戒してしまうんじゃないかと心配です。確かに効果はありそうだけど。中国には、日本とはもちろん、他の国々とも心の開けた付き合いをしてほしいです。

 最後に王英凡氏。この方は話の中でよく「~を願います」という言葉を使います。中国語でいうと「希望~」です。あまりにもそれを言うので、私は心の中でツッコミました、「希望」だけでどうすんだよっ!具体的にこれからどうするの?!と。

そしたらその直後、王氏から返事が来ました。「私がここで希望という言葉を使うのは、これから起こることは誰にもわからないからです。」(ここまで断言してなかったかもしれないが…)これぞツッコミ返しってやつですね。

 基調講演の後は、昨日の分科会の報告会です。私が参加したアジアの未来のについてはのちほど。他の5つの報告会の中で意外にも、あまり興味なかった金融のを興味深く感じました。

発言をされた小島氏は、日本のバブル経済と今の中国の状況を比較しながらお話されました。「今中国はバブルだから。」と前どこかでだれかが言ったのを耳にしたことがあって、本当のところどうなのかと気になってました。

だからこれは謎を解くチャンスだと思ったが、勉強不足で専門用語を理解できず、真相はわからず仕舞い。後日、言論NPOのホームページを見て解決したいと思います。

さて、待ちに待ったアジアの未来について。発言されたのは、昨日分科会で司会を担当した周牧之でした。周氏は昨日の北京大学会場での状況、中国の学生のクオリティーが高いこと、鋭い質問をするということを報告しました。

討論のまとめとしては、これからアジアの世紀が来るそうです!アジア人の私としてはわくわくです。今やアジアの国々は相互依頼関係にあり、アジアの世紀に入ると、アジアは世界において大きな経済ウェイトを占めることになるだそうです

。この事態はとても特殊なものだと昨日多くのパネリストは発言されたが、周氏はどうやらそう思わないみたいです。また周氏の最後の感想としては、中国の学生のほめ言葉や、中国人の中日政治に対する関心が高いことなどが述べられました。

これらは、北京大学の会場があってこそのものです。わたしは、今度日本でこのフォーラムが開かれるとき、同じように大学で会場を開いたら面白いと思います。

 全体を通して、私はうれしく思うことがあります。多くの中国人が日本語を話してることと、多くの日本人が中国語を話してること、そして自分が中国語と日本語を話せること。
でもこの調子じゃ中国語と日本語を話せる人なんて大したことなくなっちゃうんで、これからは英語はもちろん、もう一ヶ国語マスターしたいです。アジアの世紀がすぐそこだからやっぱり韓国語かしら…

(文責:黄)

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フォーラム1日目を終えて ~林~

Ku6e1143 三寒四温、三度目の正直、三人寄れば文殊の知恵。私たちの身の回りには3のつく言葉がけっこうある。ほら、物事だって、1、2、の、3で始めるでしょ。どうやら3という数字は何か私たちにとって大きな意味を持つものなのかもしれない。

 結局、何が言いたいのかというと、今回晴れて北京で行われた、第3回 北京-東京フォーラムの重要性である。主催は言論NPOとチャイナデイリーである。

 一回目は開催したことに意義がある。そして、それだけである程度の評価を得られる。

 二回目は成果を求められる。そして、安倍現総理大臣を迎え、日中関係の重要性が述べられたことで、この目標は達成されたと言える。三回目は未来への展望が求められる。

 二回目までの成果を踏まえ、今後それらを持続的に継続、発展させていけるだけの明確な目標、そして断固たる決意が要求されるのである。

 その観点から見て、今回のフォーラムは成功したのか。今日一日を振り返り、考えてみたいと思う。

 北京の五つ星ホテル、クンルンホテル、その二階、クンルンホールでフォーラムは行われる。華やかなシャンデリアの下、続々と各界で名の知れた著名人が集まり、何やらひそひそ話。もう戦いは始まっているのかもしれない。

 チャイナデイリー総編集長、朱霊氏の挨拶でフォーラムは幕を開ける。盛大な拍手、瞬くフラッシュ。そのどれもが新鮮で驚きだった。その後はコーヒーブレークまで日中合わせて八人の怒濤の連続講演、その中には主催者の一つ言論NPO代表工藤泰志氏の講演も含まれる。そこで氏からこのフォーラムの展望が語られた。

このフォーラムをアジアの問題全てに対する情報の発信源に、という氏の発言には確かな意思と強固な決意を感じ、私の心は期待に胸躍った。

 しかし、それもつかの間、全体会議が進むにつれ、私の心はだんだんと沈んでいった。

 講演者は相も変わらず、原稿を読み、全員がひたすら同じことを繰り返しいうのである。これでは普段の無味乾燥な政治と変わらないではないか。退屈を通り過ぎ、憤りすら感じる。民間でやる意味は何なのかと。

もちろん講演者一人一人、きらりと光る言葉をそれぞれ持ってはいたのだが、それさえも私の心を打つには至らなかった。

 私は憂鬱な気持ちで昼食を食べた昼食後は各分科会に別れての討論である。私は安全保障に関する分科会に参加した。

 私の気持ちは沈んだままである。比較的狭い部屋に多くの人が押しかけ、人の熱気が溢れる中分科会はスタート。司会の朝日新聞論説主幹、若宮啓文氏のもと日中三人ずつのプレゼンが行われる。

昼食でお腹いっぱいになり、眠い目をこすりながら、プレゼンを聞く。初めはまた当たり障りのないやりとり、を予想していた。眠かったし、早く終わって欲しかった。

 しかし、プレゼンを行った話者は私の予想を裏切り、今まで公の政治の場では語られなかったような率直な意見が述べられた。私は眠気を忘れ、話に聞き入った。

 しかし、また私の中で、もう一人の自分が叫ぶ。結局またみんな同じこと言ってるよ。

 そう思うと私の心は満たされぬままだった。そして前半が終わり、コーヒーブレーク。

 後半が始まる。前半の議論を踏まえ、さらに日中三人ずつプレゼンが行われる。そこ
で私は耳を疑った。多くの話者からかつて聞いたことのない発言を聞いたからである。

 もちろんそれは皆が当然思っていることでもある。しかし、このように聴衆、メディアの目にさらされた中でする発言とは思えないものも含まれていたのである。

発言には責任が伴う、それが政治である。それでも多くの話者が忌憚なく多いに語る。それに私の心は再び興奮を取り戻し、プレゼンに引き込まれた。

 続いて行われた、議論形式の対話ではさらにその傾向が顕著であった。率直な発言はしばしば相手の感情に訴える。そこから生まれるのは悲しみであったり、喜びであることもある。

しかし多くの場合は怒りである。それが日中の安全保障というデリケートな問題であれば、なおさらであろう。日本側の意見を受けて、中国側が眉をひそめる。中国側の意見を受けて日本側が目を見開く。

 有識者と呼ばれ、普段は感情を出すことを極力抑えているはずのパネリストたちが、相手の発言に反応し、冷静と情熱の間で揺れ動き、普段は言えない本音を話しだす。まさに今ここで政治が動いているのだ。

 その実感は徐々に強くなっていき、私を呑み込んでいく。その波に溺れそうな中で、ふと私は思った。なんだ、このためだったのかと。お互いに議論を進めようとしても、互いの根本的な前提が分かっていなければ、議論を平行線のまま、無意味に終わる。それを防ぐためにも、初めにお互いの前提を確認し合う必要があるのではないだろうかと。

 そう思うと、私の中で色あせていた全体会議、分科会後半の記憶が一気に色を取り戻し、躍動し始めたのである。

 あれは幻だったのか。時間の制限により、分科会が終わっても、私は醒めきらぬ興奮のなか、放心状態だった。その前を一人の政治家が横切った。衆議院議員、元防衛庁長官、中谷元氏その人である。私は思わず駆け出し、震える足を懸命にこらえ、氏に疑問をぶつけた。

 氏は単なる学生ボランティアである私に名刺を差し出し、私のぶしつけな質問にも丁寧に答えてくれ、写真も一緒にとってくれた。ここで私はまた政治の息吹を感じたのである。中谷氏以外のパネリスト、そして参加者のほとんどが終了後もホールで政治談義に花を咲かせている。このフォーラムの意義はここにあるのではないか。オープンな形での多くの人による政治参加。フォーラムの存続は運営側だけでなく、参加者の意識にもかかっているのだと。

 私は満たされた気持ちで、片付けのため、名残惜しくも会場を後にした。

 果たしてこのフォーラムは成功であるのか。まだ二日目があるじゃないか。今言うのは野暮ってもんでしょう

(文責:林)

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フォーラム1日目を終えて~黄~

Ku6e9661 今は2007年8月28日18時半、第3回 北京-東京フォーラムの一日目が終了しました。

  私がこのフォーラムの存在を始めて知ったのは先週です。

 いとこに言論NPOが主催する日中討論のイベントのボランティアスタッフをやらないかと誘われて、興味本位で参加しました。打ち合わせに来てみたらびっくり!こんなにシビアなものだったとは…といった感じです。前日は緊張でなかなか寝付けませんでした。        
    

 まず今日の午前中は全体会があり、来賓の方々の挨拶や基調講演が行われました。来賓にはさまざまな分野で活躍なさってる著名人がいらっしゃいましたが、私たち学生スタッフに一番人気だったのは民主党副代表の岡田克也氏でした。岡田氏の発言が始まるとみんなカメラを取り出しました。

 私たちの役割は来賓の方の発言内容を速記することです。中国側の発言は同時通訳機から流れてくる日本語を聞いてやります。全体会は中国側と日本側によって交互に行われたのですが、途中で発言者の順番が入れ替わったりして一時混乱に陥りました。

 それに正直自分の指がほとんどついていけない状態で、来賓の発言内容をたびたび聞き逃してしまうことありました。そんな中、いくどもASEANとかインドなどのことばが耳に飛び込んできます。中国外交学院院長の呉建民氏の発言の中で特に述べられてました。

私はいままで中日関係にばかり注目してたところがありましたが、改めてこれからは今回のこのフォーラムのサブタイトルにもあるアジア全体の未来について考えたり、他のアジアの国々に注目する必要があると感じました。

 午後は分科会が行われました。分科会は6つに分かれていて、略しますと、メディア、安保、金融、経済、環境、アジアの未来です。アジアの未来は特設会場の北京大学で、それ以外はメイン会場の崑崙ホテルで行われました。

 私が参加したのはアジアの未来です。その理由はなんとなくだったのですが、後からいい選択をしたなと思いました。とてもいい話が聞けたし、なんと言っても他の分科会に はない一般学生と来賓との絡み合いが見られたからです。

 この分科会は中国側は周牧之氏、日本側は国分良成氏で始まりました。国分氏は挨拶をいきなり中国語で始め、中国語の腕前を見せつけました。しかもバイリンガルの私が聞いても外国人には聞こえないほど上手でした!その後はちゃんと日本語の挨拶もつけてくれました。続いてパネリストの紹介と発言が行われました。

 中国側パネリストは午前の全体会でも発言なさっていた趙啓正氏をはじめ、王英凡氏、呉建民氏、カ慶国氏、白岩松氏で、日本側パネリストは大人気の岡田克也氏、宮本雄二氏、竹下亘氏、上田勇氏、松本健一氏でした。しかし、中国側の一番人気の白氏は交通機関の遅れのためかなり遅刻して来られました。

 私はこの分科会では主に写真や動画の撮影を担当したのですが、同時通訳機をつけてると動きにくいので外してました。だから今は、中国側の発言がどのように訳されたのか気になります。後から他の方に聞くと、どうやら訳された日本語より実際の中国語の方が過激に聞こえたそうです。

前半パネリスト方の発言はよくテレビで聞いたり、午前中の全体会の内容と似たもののように聞こえましたが、後半学生たちによる質問タイムが始まると、雰囲気が変わり、パネリスト方も先ほどより積極的に自分から発言を求めるように見えました。

 一人の学生が、岡田氏と松本氏の語る日本の若者の2次大戦に対する認識の違いについて指摘しました。岡田氏の場合、若者は2次大戦のことで中国に対する罪の意識は持ってる、そしてそれは隣国からの反感から生まれたものだという考えでした。

 一方松本氏の場合、若者は2次大戦はアメリカとの戦争で、アメリカに負けた戦争だと思ってるという考えでした。私はどちらも正しいと思いますが、ひとつ注目したいのは、私の知っている日本で作られたほとんどの戦争映画は2次大戦を後者のように描いてます。最近で言うと、「硫黄島からの手紙」や「僕は君のためにこそ死ににゆく」です。

 だから、日本でももっと中国との戦争をテーマにした映画を作ってほしいです。「鬼が来た!」みたいな。

 会場全体の雰囲気は思ったより柔らかな感じで、学生たちのお蔭もあってか笑いが多かったです。パネリスト方の発言もなかなか笑いを誘うものがありましたが、皮肉なジョークといったもので、会場が笑っても相手国側のパネリストは笑わないといった光景をよく見かけました。

 結局、アジアの未来についてどういったふうに話がまとまったかは、私も明日の報告会を見るのが楽しみです。

(文責:黄)

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